こんにちは。
私は双極性障害なのですが、働かずにいればそれなりに元気でいられます。
中空飛行くらいをキープできてるかな?って感じです。
そんな私は、娘の存在も手伝って専業主婦になりました。
とはいっても、疲れやすく、疲労から体調を崩しやすいのは事実なので、娘は保育園に通っています。
専業主婦×保育園はある意味最強で、趣味や家事の時間を確保することができて、自己肯定感も上がります。
家事が上手い具合にできるとやはり嬉しいですからね。
趣味はメンタルを良好に保つのにも重要です。
私は働くのを諦めた口ですが、働こう働こうとして病状が安定しない方はいっそのこと専業主婦(夫)もありではないかな〜と考えています。
「共働き」という言葉は私と相性が悪い
「共働き」
昨今頻繁に聞くようになった「共働き」
これは働けない私をザクザクと鋭く深く切りつけてくるワードです。
社会から働けないことを指さして非難されている気分になります。
極端に言えば、「生きている価値がない」と言われている気分になるのです。
私の被害妄想でしょうか。
この「共働き」という言葉は、私のように働けない人にとってはとてつもない暴力性を孕んでいるように思うのです。
その暴力性はどこから生まれてくるのでしょうか。
「働いて当たり前」と思わせてくる
最近は共働き世帯が増えたとはよく聞きます。
どちらかが家庭に専念する世帯の割合は、共働き世帯よりも少なくなったなんてことも聞きます。
それは数字だけ見れば事実なのかもしれません。
でも、共働き世帯が増えたからといって、働けない私のような人々が絶対に働かないといけないことはないと思うんです。
こう、なんというか、人口減に入った日本では人手がとにかく不足しがちで、それを解消すべく政府や経済界が「働いて当たり前」、「病気でも父でも母でも働いて当たり前」という空気を作っているような気がしています。
この空気を鵜呑みにして、私はとても辛い時期を過ごしました。
今になっても、成人して10年も経つのに、まだまだ未熟者、半端者、半人前と言われている気分です。
専業主婦になってもしばらくは罪悪感でいっぱいで、家事を頑張りすぎてダウンすることもよくありました。
ふっきれて趣味を楽しみつつ家事もできるようになったのはここ最近です。
ふっきれると、やっと重荷から解放されて自分らしく生きているような気がしてきました。
もし働けないことでずっと自己否定してしまう方がいたら、「気にしないで!」と声を大にして言いたいのです。
あんなの、政府に都合がいいから言っているだけのこと。
私からすれば、政府の失策で人口が減っているのに、その尻拭いになぜ私たちが傷つかねばならないのかと怒ってもいいくらいです。
働けなくても、幸せになっていいし、自己実現してもいいんです。
「共働き=夫婦正社員フルタイム」と思わせてくる
私は少しでも働くと体調を崩すというか、大の大人が泣くのですが、短時間なら働けるという方もいらっしゃるでしょう。
パートやアルバイトに励んでいる方は、とても素晴らしいことだと思います。
それなのに!
「共働き世帯が増えました!」と言われると、なぜか「夫婦共に」「正社員で」「フルタイムで働いている」世帯が増えたの?と感じるのは私だけでしょうか。
実は共働きと言ってもどちらかがパートタイマー的な働き方をしている世帯の方がまだ多いようですよ。
これも長時間働いてくれる人手が欲しい政府や経済界による印象操作がされているのではと疑っています。
言葉のイメージに左右されず、短時間だろうが長時間だろうが働けている方はぜひ自分を誇ってほしいです。
家事を軽んじてしまう
「共働き」という言葉があまりに頻繁に叫ばれると、働くことが常識であり、家事は労働に劣ると感じてしまうように思います。
私は家事を頑張っていましたが、「どうせ稼いでないし」と自分を認めることができない時期が続きました。
これはとてもつらいことです。
しかし、夫も娘も私の作ったご飯を「美味しいおいしい」と食べてくれますし、部屋を掃除すれば「ぴかぴか〜」と喜んでくれます。
そうした夫と娘の反応が少しずつ私の心に沁みて、「家事も仕事に負けないくらい価値がある」と思えるようになりました。
健康的な食事、清潔な環境を提供することで、家族の健康を守っているのだという自負心が芽生えました。
ようやっと私は、専業主婦である自分を認めることができたのです。
では、お金はどうするか。
私は「片働きでもいいじゃない!」と言っているわけですが、「共働きじゃないとお金が足りないのよ!」と言いたい方もいらっしゃるかもしれません。
保育園も0歳から2歳までは収入に応じてお金がかかります。
我が家は運良く専業主婦世帯でいられていますが、少なからず努力している部分もあります。
どんなことを頑張ったの?ということを、ここではお話しします。
夫が条件の良い会社に転職した
一番影響が大きかったのはこれです。
夫は2回転職を経験していますが、転職するたびに年収を上げ、環境もホワイトになっていきました。
有利に転職できたのも若さがあったからかもしれません。
転職を考えている方は早めの行動をお勧めします。
教育訓練給付金を使う
教育訓練給付金とは、以下のような制度です。
教育訓練給付金とは、働く方々の主体的な能力開発やキャリア形成を支援し、雇用の安定と就職の促進を図ることを目的として、厚生労働大臣が指定する教育訓練を修了した際に、教育訓練経費の一部が支給されるものです。
働いている人(雇用保険に入っている人)限定だったはずなので、私は使えません。
夫は専門実践教育訓練に当てはまる訓練を受講していたので、いろいろ条件をクリアして、70万円くらいの訓練費のうち、60万近く返ってきました。
これで資格などを取り、条件の良い転職につなげました。
資格を取得する
夫は独学でいくつか資格をとっており、それも転職に有利に働きました。
とはいえ、独学なのでたくさんの本を買っていて、同じ資格の本を何冊も持っています。
いろんな角度からいろんな人が結局同じことを言っているのだけれど、相性やタイミングでどの本がピンとくるかが変わります。
特に専門書への投資は惜しまない方がいいのでは?と考えています。
また、私はこの間も働いていなかったり、働いても短時間なので、家事と育児をなるべく引き受けることによって、夫の勉強時間の確保に協力しました。
私が障害年金をもらえることになった
現在第二子の妊活中ですが、背を押したのが障害年金です。
5年分なら遡って請求できます。
私は遡及請求に成功して、幾らかまとまったお金が入りました。
社労士に依頼した
一度自力で全ての書類を集めようと思ったのですが、妊娠も間に挟んだこともありずっと宙ぶらりん状態でした。
しかし、もらえる権利があるならもらいたいというもの。
どうにか重い腰を上げて社労士に依頼することができました。
すると後は楽ちん!
社労士は病院に手紙を出すことによって、郵送で必要書類を集めることができるのです!
戸籍謄本なんかは自分で取りに行く必要がありますが、私がしたのはそれくらいです。
障害年金3級をもらいながら働いている人もいる
これは社労士さんと面談している時に聞いたのですが、障害年金の3級をもらいながら障害者雇用で働いている人も案外多いとのことです。
短時間なら働けるけど、病気のせいでフルタイム正社員は無理だ、という方も一度社労士に受給できるか確認してみてもいいかもしれません。
実家と良好な関係を築く
私の実家からは毎月お米をもらっていますし、夫の実家からは亡くなった祖父の家を格安で提供してもらっています。
可能なら実家との関係を良好に保っておくことで、いろいろ支援してもらえることがあるかもしれません。
私はお礼になっているかはわかりませんが、孫は可愛いだろうということで、毎月娘の写真がプリントされたカレンダーを郵送しています。
あとは、なるべく遊びに誘ったり、娘の顔が見えるようにビデオ通話をしたりしています。
おかげで娘はどちらのばあばも大好きです。
もし働けるなら
私は今のところちっとも働けませんが、少しなら働けるとか、働けるようになってきたからキャリアアップして行きたいという方もいらっしゃると思うのです。
久々の労働で、少しでも条件の良い場所で就労したいという方もいらっしゃるでしょう。
そんな方には以下の制度もお勧めです。
求職者支援制度を使ってみる
雇用保険に入っている方は先述した教育訓練給付金が使えます。
私のように早々とドロップアウトしてしまい、雇用保険に入っていない場合は求職者支援制度というものがあります。
ざっくりいうと、ハローワークの職業訓練です。
条件を満たせば月10万円もらいながら勉強することができます。
仮に条件が満たせなくても、訓練自体は無料です。
また、職業訓練は保育園を利用する自由にも当てはまるので、すでにお子さんがいらっしゃる方も検討してみていいかもしれません。
働きながら障害年金をもらう
先述した通り、障害年金3級をもらいながら働いている方も実は多いという話。
収入を増やしたいけれど、これ以上労働時間は増やせないという方は、申請を考えてみてもいいかもしれません。
まとめ:専業主婦(夫)だっていいじゃない!
共働きが増えている社会状況で、私のように働けない人は劣等感を覚えます。
しかし、声を大にして言いたい!
働いていなくても、立派な大人であり人間であると!
家事だって必要で素晴らしい価値のある営みだと!
「どうしよう、家事もできないわ!」という方はまだ休息が足りていません。
心穏やかにとはいかないかもしれませんが、社会のことはなるべく気にせずゆっくりと過ごしてください。
病気であろうがなかろうが、働いていようがいまいが、胸を張って生きていける社会になってほしいものですね。