双極性障害の私が、母をやれている理由。

子育て

こんにちは。
私は双極性障害になって10年ほど経ちます。仕事面に関してはパートにも耐えられないほどポンコツなのですが、専業主婦をしながらどうにか2歳の娘を夫と一緒に育てられています。

今日は、「双極性障害になってしまったけれど、親になりたい!でも、やっていけるのかな?」という方向けに、双極性障害の私が、どうやって娘を育てているのかお話ししようと思います。

自己紹介

まずは簡単な自己紹介をしておこうと思います。

生まれと育ちは鹿児島県で、大学進学と同時に上京。
大学で今の夫と出会い、交際を始めます。

新卒で入った会社で双極性障害を発症し、休職のち退職。
正社員をやったりパートをやったり大学院生をやったりして、28歳で結婚、31歳で娘を出産して今に至る、という感じです。

新卒で入った会社で1年経たないうちに双極症を発症

私は根っからの文系で、高校も文系、大学も文系なのに、何を血迷ったのかITの会社に技術者として入社しました。
そう「研修でしっかり教えます!」という言葉に惹かれて!

研修は大変でした。何が大変かは思い出せないのですが、大変だったことだけは覚えています。

私を入れて新卒は4人。
研修が終了した時、他の3人は何かしら褒められたのに、私は何も褒められなかった。
ここは電話対応だけでも褒めておけよ、と思いましたね。

で、つらいのが配属後、研修したことじゃ目の前にあるシステムがさっぱりわからないということ。
え?何がどうパワーアップすればこれになるの?って感じ。飛躍がすごい。やっぱり才能なかったんだと思う。

私は大きな会社に契約社員として派遣されたのですが、もうそこでは私が無能であることがいつバレるのだろうかとヒヤヒヤしていました。それがもしかしたら一番ストレスだったかも。

直接の発病の原因は長時間労働だと思いますけど。

9時始業、定時は18時。なのに18時になってから、なんなら20時過ぎてから本番って感じでした。
そんなわけで年を明ける前にばたんきゅー。

年明けには診断書を出して休職しました。

傷病手当を1年半もらい、休息。どうにかパートを始めるまで回復する。

休職期間の3ヶ月では全く元気になれず寝たきり状態、そんなわけで退職しました。
傷病手当金がもらえる1年半が終わる頃には、どうにか20分の散歩と食事の買い出し、洗濯と夕食作りはできるようになりました。

そして、病院受付のパートに採用され、半年ほど頑張りました。
その後は正社員で総務事務として働いたのですが、半年で出社できなくなり退職しています。

今現在は、正社員だろうがパートだろうが、働かなかったら元気でいられるという感じです。
専業主婦ですが、家事はかなりテキトーで多めに見てもらっていると思います。

双極性障害を持つ私が、母になるまで。

双極性障害でも母になりたい

夫とは、双極性障害を発症する前から同棲をしていました。
病気になって寝込んでいても一緒に暮らしていました。

心理職を目指して大学院にも通ったのですが、体調を崩し休学後退学しました。
本当に、何も続かない柔な体になったと思います。

でも、私も夫も親になりたいと思っていました。
結婚したら子どもを持つものだろうという考えが一致していたとでも言いましょうか。

私は働けませんが、家事ならできます。
ひとりなら育てられるかもしれないと、妊活に踏み切りました。

抗うつ薬を服薬しながらの妊娠生活

私はこの病気になってからずっと10年近く心療内科に通院しています。
引っ越しがあったため、転院はしていますが。

心療内科の医師にもそろそろ妊娠したいことを伝え、妊娠したら産婦人科の医師にも心療内科に通院していること、服薬していることは伝えました。

どちらの医師も、体調が悪くなるくらいなら服薬をしたほうがいいという意見で、私はサインバルタとエビリファイを服薬しながら妊娠生活を送りました。

第一子の妊娠であり、仕事もしていなかったことから私は1日のほとんどを寝て過ごすことができました。

服薬のおかげもあり、メンタル的な問題は経験せず出産まで漕ぎ着けることができました。

むしろ、子宮筋腫の方が心配されていたくらいです。

無事に産まれた娘

そして娘は無事に生まれました。
朝の5時くらいから陣痛が始まり、生まれたのは23時過ぎ。
吸引分娩でした。

途中陣痛が弱まり、促進剤も打ちました。

吸引分娩になったのも、陣痛促進剤が必要になったのも、双極性障害の薬のせいというよりは、子宮筋腫のせいだろうと医師には言われました。

現在、娘は内斜視がありメガネをかけて治療していますが、それ以外は至って健康です。
この内斜視は、私の薬のせいではなく夫からの遺伝のようです。

夫は見た目は全然斜視なんかないのですが、精密な検査ですこーし内斜視があることがわかっています。
これが遺伝してしまったようですね。

娘が生まれてから

生後3ヶ月目までは実母に頼りまくり

私は現在千葉に住んでおり、娘も千葉で産みました。
夫に父としての自覚をなるべく早く持ってもらいたかったので、里帰り出産はしませんでした。

その代わり、実母が鹿児島から応援に来てくれました。

夫は当時転職してからまだ1年経っていなかったので、娘が生まれてすぐには育休が取れませんでした。

そのため、娘のお世話は私と母でしていました。
お風呂だけは夫と一緒に入れました。

母が私たちの家にいてくれるのは1ヶ月の約束でしたが、それ以降3人でやっていくのは不安があったため、母について鹿児島に帰りました。

当時は夫はフルリモートで仕事ができていたので、少し遅れて夫も鹿児島にやってきました。
そして2ヶ月鹿児島でお世話になりました。

現在は義母に頼りまくり

千葉に帰ってから、義実家の近くに引っ越しました。
もちろん、助けてもらうことをあてにしてです。

出産後パートをしていた時期もあります。
お熱で保育園に行けなかった時は義母に来てもらうなどして乗り切りました。

また、どうしても夫が息抜きに出かけたい時も、義母に来てもらって一緒に娘を見てもらいました。

この関係は今も続いています。

精神疾患を事由に保育園を利用

心療内科の医師に診断書を書いてもらい、私は精神疾患、夫は仕事があることを理由に保育園に娘を生後6ヶ月から預けています。

保活は出遅れたので、小規模保育園を希望

実家に帰っている時期が、4月からの保育園入所の応募期間とかぶっていました。
そのため、一次募集では書類を提出できませんでした。
ただ、まだ二次が残っていたので、こちらで書類を提出しました。

保育園は歩いて行ける距離の保育園と、車で15分〜20分ほどかかるところまで6園ほど見学に行きました。

一番近い保育園は一次で埋まってしまっていたので、まだ枠が残っている小規模保育園も見て回りました。
すると、理想の園に出会ったんです!

絵本は字が読めなくても表紙の絵で選べるように置いてあったし、手作りの掲示物がたくさん貼ってあって家庭的な雰囲気がありました。
案内してくれた園長先生もとても穏やかな先生で好感が持てました。

「この園がいい!」と思い、第一希望にして出しました。
どういう点数だったのかはわかりませんが、無事この園に通うことができています。

遅刻にゆるい保育園

これは通い出してから気づいたのですが、我が家は車で15〜20分ほどの園を利用しています。
たぶん、我が家が一番遠いです。

するともう遅刻する遅刻する。
酷いと30分とか40分とか遅れちゃう。

それでも怒られない!とても助かる!

こういうところが優しいのも、私のメンタルにはいいなと思います。

メンブレしたらお話を聞いてくれる保育園

最近はないのですが、泣き腫らした目で送迎したことがあります。
すると、先生がお話を聞いてくれるんです。

夫がちょっと趣味で出かける日数が多いかな〜、とか。
夫が朝起きるのが苦手で、私一人で保育園の準備をしているのがストレス、とか。

そんな話を聞いてくれます。
だから何かが直接的に解決するわけじゃないんですけど、だいぶ気持ちがスッキリしました。

双極性障害だけど、専業主婦ママとしてならやっていけそう。

専業主婦だけど、家事はテキトー。

仕事はとにかく続かないんですけど、自分のペースで家事をするだけならどうにか元気でいられます。

自分のペースというのは、

  • 洗濯は2日に一度
  • 掃除機は気が向いた時にしかかけない
  • トイレなど水回りの掃除も気が向いた時だけ
  • ちゃんと料理するのは夜だけ
  • けっこう料理もサボって外食多し

などなど、テキトー家事を見逃してもらっています。

娘が保育園に行っている間は、私の自由時間。

娘が保育園に行っている間は、軽く家事をして、あとは自分の趣味の時間に使っています。

たとえば、

  • 編み物
  • 文章を書く
  • 文章を読む
  • マンガを読む
  • 着物
  • ボールペン字(最近サボり気味)

などなど。これを全部こなすには時間が全然足りないのですが、なるべくその時その時に「これだ!」と思えるものをやっています。

そして、土日は保育園と夫の仕事がお休みです。
夫のリフレッシュ時間を取るために、娘を一人で見ることも多いのですが、倒れずにいられています。

平日に自分がリフレッシュしておくのも大切なことです。

双極性障害の専業主婦が、お金周りでできること。

夫の転職を応援する

専業主婦ということは、夫一馬力で生活を支えてもらうことになります。
夫は教育訓練給付金制度というものを使い、スキルアップして転職しています。

今まで2回転職しているのですが、年齢が若かったのもあると思うのですが、転職するたびにお給料は増えて環境もホワイトになっています。

夫は専門実践教育訓練に当てはまる講座を受講していたので、70万円ほどの学費のうち60万近くが返ってきました。

一度自分で70万ほどの出費はしていますが、トータル10万程度で転職に有利なスキルを身につけることができたのでとても良い制度だと思います。

平日にハローワークに行く必要がある点だけが手間なのですが、それだけクリアできれば本当に便利なので使ってみてください!

障害年金を申請してみる

私はいい加減働けなさすぎなので、障害年金を申請してみました。
一度自分で全ての書類を集めようとして失敗したことがあるので、社労士に頼みました。

遡及請求もできて、5年分なら遡って請求することができます。

私は10年選手なので、この遡及請求もやってみました。
すると成功!まとまったお金が入りました。

障害年金がもらえたことで、第二子がいてもいいかもしれないとまで夫婦で考えられるようになりました。

まとめ:環境を整えれば双極性障害があっても親になれる

私が双極性障害を患いながらも専業主婦と母親がやれている理由を考えてみました。
改めてまとめてみると、

  • 働かないことによって精神的健康を保つ
  • 専業主婦だが精神疾患を事由に保育園を利用する
  • 障害年金で金銭的不安を軽減する
  • 夫の転職やスキルアップを応援して、夫の年収を上げる。
  • 義実家の近くに住んで、子育てを手伝ってもらう。
  • 趣味を見つけて、自分時間を満喫する。

これらがうまい具合に相互作用して、双極性障害でも子育てできる環境が出来上がっていると思います。
運が良かったところもたくさんありますが、双極性障害があっても、親にはなれると考えています。

私自身が倒れないように、娘と笑顔で過ごせるように、保育園も利用して心身ともに休む時間を作っています。

娘が保育園に行っている間は、少しでも趣味の時間を過ごすことを大切にしています。
家事だけで終わらせませんよ!

こんな感じで自分に甘々でやっていけば、元気でいられるのかなと思います。
「甘々→元気→家事・育児ができる!」という循環です。

スタートは甘々です。
早寝早起きも大切です。

家庭内での最優先事項は私の元気です。
私が元気でないと、家事・育児をする人がいないので。
そうすると夫も娘も困っちゃう。

だから、夫も娘も私に甘々です。
なんなら義実家も甘々かもしれない。

家族だけでなく、自分も大切にする気持ちを忘れずにいれば、きっと優しいお母さん・お父さんになれると思います。
あなたと家族のちょうどいい自分達の甘やかし方を見つけてくださいね。

少しでも私の体験がお役に立てば嬉しいです。
それでは!

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