イヤイヤ期の娘 VS 着替えさせたい母

子育て

もう少しで2歳になる娘。
しっかり自己主張をするようになった。

そんな娘は話せる言葉が増えるに従って、理不尽さが増していく。
たとえば「ちょうだい」と言えば、絶対にもらえると思っているからもらえるまで言い続ける。
しかも声はどんどん大きくなる。

この自己主張が強い時期に1番困っているのがお着替えなのだ。

服を持ってんたんじゃダメ。
複数持っていって選ばせるんでもダメ。

「ないない!」と言って、まとめてどこかに押し込まれてしまう。
いや、ないないではない。しまわないで欲しい。

一昔前は、動物の絵柄があれば着ていた服も今やそれだけでは着てくれなくなった。
そこで生まれた苦肉の策が、「動物が話しているふうに話しかける」である。

「娘ちゃんと一緒に保育園に行きたいぴょん!」(うさぎ)

「娘ちゃんと一緒に遊びたいクマ!」(クマ)

などである。
もし着てくれたら

「ありがとう〜。嬉しいぴょん(クマ)!」

とお礼も忘れずに。

初めは喜んでくれたこの作戦も、慣れてくると駆け引きを楽しむようになってきた。
つまり、一度では着てくれない。
着てくれた時に、「なんでさっきはダメだったん?」となるやつ。

自分の意志で着て欲しいから頑張ってうさぎやらクマにやらになりきっているけれど、そろそろ疲れてきたよ。
ママは普通に着替えて欲しいよ。

でも、服にはクマがいるからまだいいかもしれない。
靴下がさくらんぼ柄ばかりで、服と同じ作戦が使えない。
つまり、靴下を嫌がられた時の作戦がない。

今日も靴下は「お願い〜」とふざけて押し切った。

親の心子知らずで、もうしばらくこの攻防は続くのだろう。
(まあ、子の心親知らずでもあるかもしれない)

攻防といえば、お風呂と寝るのもそう。

お風呂も最近は嫌だというので、ポスターを指差して「パパに教えてあげてよ〜」とお願いする。
どこにライオンがいて、どこに消防車が載っているかパパに教えるお仕事である。

ポスターはこどもちゃれんじでついてきたもの。
これが意外にも好評で、パパに教えるぞと意気込んでお風呂に行く。

とはいえ、やはり飽きはあるもので、同じ作戦を使い続けることはできない。
先日も、このポスターは絵本に勝てなかった。

あまりにぐずぐずな時は、お風呂に入れず寝かしつけることもある。
こういう時はすごく疲れているので割とすんなり寝てくれるが、普段はこうはいかない。

寝るのも体力がついてきたのか、寝かしつけの始めの方はじっと横になっているのにしばらくすると動き出す動き出す。
動いてちゃ寝れなくて当然だよ!と叫びたくなる。

夜の8時から長いと10時まで寝かしつけにかかる。
最近はとんとんすると怒るからできないし、自然と寝落ちするのを待つしかない。

寝かしつけに反し、布団に移動させること自体は割と簡単である。
お気に入りのイヌやアンパンマンのぬいぐるみで「そろそろ寝ようよ〜」と言うと、移動だけはしてくれるのだ。

でも、先述したようにそこからが長い。
いろいろあって、自分のお風呂が終わってなかったりすると寝落ちするわけにもいかず耐えようと頑張るが、寝支度が終わっていれば寝落ちしたほうが楽である。
ママが寝てしまえばおとなしく寝るみたいだから。

ただ、 寝落ちが早すぎると娘に顔を叩かれて起こされる。
初めて叩かれた時は驚いた。
「そんなことする⁉︎」と叫んだほどだ。

と、まあこんなふうに我が家もイヤイヤ期の子どもと攻防を繰り広げている。
イヤイヤ期が過ぎた3歳児は天使と呼ばれると噂を聞いて楽しみにしているが、現段階の自己主張もわからないではないからそこまでイライラはしていないと思う。

たぶん、服を嫌がるのはママに構って欲しいからだと感じている。
ちょっと戯れ合うとすんなりと着てくれるから。
靴下もそう。
戯れた後は履いてくれる。

寝る時に遊び出すのも、すぐ寝付けなくて暇になるのだろう。
最近は暑過ぎて、外遊びが充分にできずに体力が有り余っていそうだ。

お風呂は、入れば楽しいが行くまでが面倒といった感じか。
きっかけがあれば入るし、入ったらなかなか上がらないのでお風呂自体が嫌いなわけではなさそうである。

わかる、わかるけれど、もう少しすんなりいかないものか。
そう思ってもしまうが、あんまりすんなりいっても子どもらしくなくて恐ろしい気もする。

それに、自己主張は「できるようになりなさい!」と言われても難しい。
せっかく今、いい具合に自己主張ができているのである。
怒りに任せて自己主張できない子どもにしたくはない。

ちなみに、私は自己主張が苦手な部類だと思っている。
だから、娘には上手に自己主張ができるタイプの人間になって欲しいなんて思ってしまう。
今はその足がかりだ。

娘も娘なりに毎日頑張っているから、それはきちんと褒めてお礼を言いたいと思っている。
そうやって、子どもだけれど一個人として尊重することができたら嬉しい。

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