あなたに甘いカフェラテを

夫婦関係

夫が昇給した。
素晴らしいことだ。
努力が認められることは喜ばしいことだ。

明日にでもお祝いにケーキを買いに行くつもりである。
あれ?保育園の迎えに早く出れば、今日でも買いに行けるかな?

それはさておき、私は1日1杯は甘いカフェラテを入れる。
我が家では「甘いの」と呼ばれている。

ブレンディスティックとかのことなのだが、苦いコーヒーをわざわざ甘くして飲んでいるので「甘いやつ」と私が呼び出したのが始まりである。

先述したように私はこの「甘いの」を自分に1杯は入れる。
なんだか体が重くて動かない時は、午前と午後に1杯ずつ入れることもある。
気分が向けば、在宅勤務中の夫にも入れる。

タイミングは大体私が欲しい時に入れるが、こうしてブログを書く時にお供に欲しくなることが多い。

しかし、夫が仕事に疲れていそうだったり、エンジンがかかりにくそうな時はそちらに合わせて入れることもある。

夫は仕事中は水を飲むことを忘れがちで、特に仕事机の近くに飲み物がないと本当に飲まない。
「頭痛いわ〜」なんて言っている時に「水飲んでる?」と聞けば、「忘れてた!」なんてことは過去けっこうあった。

だから、夫は仕事中に2リットルのペットボトルに入ったお茶をお供にしている。
これはだいたいジャスミンティーで、飲みすぎないように不味いお茶を買っていたらいつの間にか美味しくなっていた代物である。

でも毎日毎日2リットルのジャスミンティーを買っていたらお財布にも優しくないしゴミも増える。
よって、2リットルの麦茶を作ることにした。

麦茶の容器を買うと決定したのは夫だったが、お茶を入れるのはけっきょく私である。
ちょっと不服である。
容器を洗うのも私だし。

まあそんなわけで、夫には麦茶がそばに控えているのだが、それとは別に「甘いの」も入れる。

これはおやつの意味もある。
甘いもの、糖分が1日に1回は私は欲しい!
そして甘いものは夫も好きだ。

だから、入れるだけなら苦にならないので最近はなるべく夫の分を入れるようにしている。

今日も仕事を頑張ってくれてありがとうの意味もあるし、今日もがんばれの意味もある。
夫を労うのに、この「甘いの」はなんだかちょうどいい。

お茶はあるのに、わざわざ入れたしかも「甘い」コーヒーときた。
お湯をヤカンで沸かしていれるそれは、あなたのためにちょっと手間をかけましたよ、感が出て良い。
ちょっぴり休憩しなよ、息抜きしなよと伝えるのになんだかピッタリなのだ。

「休憩しなよ」という言葉の裏には「頑張っているのは知っているよ」がある気がしている。

頑張っているのは知っている。
頑張っているから疲れているし、煮詰まっているし、嫌になることもあるんだよね。

そんな時に「休憩しなよ。そうすれば逆に開けるかもしれないよ?」と差し出す「甘いの」は、本当にちょうどいい。
疲れた脳に糖分を、こわばった心と体をほぐす温かいものを。

これらの気持ちをひっくるめて「甘いの」は存在している。
差し出すだけで、私のそれだけの気持ちを表現してくれる気がする。

…夫がそのように感じているのかはわからないが。

でもさ、あんまりグダグダ話しかけていい状態ではないわけじゃない?
だって、在宅とはいえ仕事中なんだから。

だから、甘いのを入れて、2階に上がり、扉をノックして、「甘いの入れたよ〜」の言葉と共に机にそっと置いて立ち去るのが1番いい気がしているのだ。

と、こうして熱弁しているが、「甘いの」を夫に入れるのをサボることも割とある。

とはいえ、夫も結構この「甘いの」は楽しみにしてくれている気がする。

私と、娘のお世話を手伝いに来てくれた義母にだけ入れようと思い「甘いの、どれがいいですか?(2種類は常備して選べるようにしている)」と聞いたら「キャラマキ!」と返事をする夫である。
義母にこっそり聞いたのに、なんともいい耳だ。

稀に仕事の合間に「甘いの入れて欲しい」と言ってくる時がある。
こう言う時は心理的にも状況的にも切羽詰まっている時だ。
自分から状況を打開しようと、夫は「甘いの」を欲しがる。

私の入れる「甘いの」が、夫を励ましてくれるのならこんなに嬉しいことはない。

始まりは個人的な「糖分が欲しい」だった。
それがいつの間にか夫婦の一種のコミュニケーションになっている。

私と夫の間だけで成り立つコミュニケーションがあるのは嬉しい。
夫婦って感じがする。
バディとして協力関係を築けている気がする。

と、大袈裟なことを考えながら、今日もニマニマと「甘いの」を入れるのだ。

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