今思えば、社畜適性高そうな子どもだった。

雑記

私は学校のお勉強は得意だった。
単語を覚え、解き方を覚え、それらを使って誰かが作った正解を導き出すのは得意だった。

小学校は3年生まではなんの問題もなく楽しく通っていた。
4年生で転校して文化が変わると、浮いてしまった。

私は普通の児童だった。
お勉強も普通、運動も普通、図画工作も普通。
特に叱られた記憶もなければ、褒められた記憶もない。

それが転校先で優等生になり、運動が少しはできる子になり、絵の上手い子になった。

また、転校先は以前の学校より緩いというか、荒れていたというか、まず下の名前で呼び捨てしあっているのに恐れ慄いた。
同じ子どもなのに、違う生き物に見えた。

勉強を、作ったものを褒められるのは嬉しかった。
私の下地となった元の小学校の友人や先生たちも褒められているようで誇らしかった。

でも、私は決定的に浮いていた。

なんだか友人ができない。
そもそも徒歩で帰ると30分家までかかったし、近所に同年の子は一人もいなかった。

まだ「公民館」という概念が残っている田舎だったのだが、同じ公民館に同じ歳の子どもはいなかったのである。
おかげで子ども会の会長をやる羽目になってしまった。
小学5年生がやるという決まりなので、私しか成り手がいなかったのである。

まあ、そんな感じで転校先の環境は大嫌いだった。
悲しいかな父と母の生まれ故郷はこの地であり、私は自力でなければ出ていくことは叶わなかった。

胃痛というものを覚えたのも小学4年生からである。

がしかし、私はこんなに嫌だった学校に通いきった。
行きたくない日は大体雨の日だと算段がついていて、納得して登校していた。

勉強ができるという自負も大きかったし、勉強は普通に楽しかった。
授業もテストも受けたかった。

学校に行かないという選択肢はなかった。

我が地域には中学受験という文化はほぼない。
私立中学はあるにはあるが、わざわざ受験していくようなものではなかった。

だから、私も受験はしなかったし、塾にも通わなかった。
そのまま公立の中学に進学して、私は一生敵わないライバルには出会いつつも、成績は良い方だった。

やっぱりうまく友人はできなかった。
女子といえば所属するグループが決まっているものだが、私はふたつ3つほどフラフラとしていた。

中学2年にもなれば固定はされたが、3年生では一人ずっと勉強していた気がする。

2年生の時は思春期真っ只中だったのかあんなに好きだったはずの勉強がとてもしたくなかった。
勉強なんてなんの役に立つんだと思った。

でも下がったテストの順位を見ればプライドが許せなくて、またテスト勉強に励むことになる。

3年生になれば高校受験だ。
当時私の学校では定期テストと実力テストがあった。

定期テストより実力テストの方が難しく平均点もグッと下がったが、出題範囲が今まで習った全てであったそのテストはその名の通り「実力」を示していたのだろう。

私はその実力テストがある日に腹を壊した。
キリキリと胃が痛んだが、実力テストだけは受けなくてはと這いつくばって登校した。

担任教師に心配されつつテストを受けて速攻帰った。

その結果は覚えていないが、同じようなことが塾でもあった。
やっぱりキリキリ痛む胃にカイロを貼って講義を受けて帰った。

それほどの根性が弟にもあればと母と父は言うのだが、今思えば休めばよかったと思う。

体調が悪いのならサクッと休んで最短で治すべきである。
それを根性で登校などしてはならない。
もし伝染する病気だったら他の生徒も教師も傍迷惑である。

高校は運良く学区外の学校に進学することができ、楽しい3年間を過ごした。
が、やはりつめつめの授業はつらかった。
あの3年間は楽しかったが、2度とはゴメンである。

しかし、その高校のおかげで私は東京の大学に進学することに成功し、夫と出会いこうして千葉県に住んでいる。
念願の地元脱出は叶った。

とはいえ、やっぱり軍隊な生き方をしたと思う。
私はあんなに嫌なら不登校になってもよかったし、腹を壊してトイレが近いなら実力テストだって休んでよかった。

あんなやり方をしていた私なのだ、社畜適正はなんだか高そうだなと今思った。
しかし、蓋を開ければ長時間労働に耐えられず双極症である。

不思議だな〜と。
こんなに軍隊の一齣として便利そうかつイキイキと働けそうなやつもそういまい。

会社の分野がきっと悪かった。
ざっくり言うと、やっぱり文系の私が理系の会社に就職するのではなかった。
どうせなら文系のブラックに就職するのであった。

まあ、今更言ってももう遅い。
過去には戻れないし、過去の自分に今の自分の状態を伝えることもできない。

私は「今の私」と生きていくしかない。

今の私はそれはストレスに弱く、事務仕事がしたいと言いつつ、いつ電話がなるのかとビクビクしていた。
椅子が安物でしかも使い古されたものだと、腰が痛くなったりもした。

騒いでいた喫茶店のホールのパートには雇ってもらえることになった。
とても嬉しいが、初めての職種ゆえに今からやっぱりビクビクしている。

でも、学生も頑張っている仕事だ。
私にも頑張れると思いたい。
過去の私にできたであろう仕事なのだ。
今の私にもできると信じたい。

とてもとても怖い。
でも夫だって怖いと思いながら転職活動をして今の会社に入ってホワイトな環境で働いているのだ。
「怖い」「緊張する」は乗り越えていかねばならない感情なのだろう。

私にできることといえば、思考をなるべくパートから外してリラックスすることだけである。
自身にプレッシャーをかけることは良くないと、ここ数年の経験でやっと学んだのだ。

学生の頃はむしろプレッシャーをかける方が良かった。
そっちの方が頑張れた。

でも、今はプレッシャーは基本的に敵である。
よいしょっと私の体から横に下ろしておかねばならない。

20数年かけて作った私の取り扱い説明書は使い物にならなくなってしまったが、10年近くかけてやっと新しいものが出来上がりつつある。

これからの人生が少しでも良いものであれば嬉しいとこれでも思うし、良き人生になるようなるべく行動していく所存である。

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